道標(水戸街道)の画像・動画
画像 …画像をクリックすれば拡大表示します(別ウインドウで) |
|
|
|
|
動画
水戸街道は
水戸街道は江戸の幕府と徳川御三家の水戸を結ぶ、東海道などの五街道に次ぐ重要な脇街道であり、千住宿から水戸宿までの20の宿があった。
五街道とは
東海道、日光街道、奥州街道、中仙道、甲州街道をいう。
街道名 |
基点 |
終点など |
宿駅数 |
東海道 |
日本橋(江戸) |
三条大橋(京都) |
53 |
日光街道 |
日本橋(江戸) |
日光坊中(日光東照宮、現在の栃木県日光市山内) |
21 |
奥州街道 |
宇都宮 |
白川(福島県白河市) |
10 |
中山道 |
日本橋(江戸) |
草津宿で東海道に合流するまで |
67 |
甲州街道 |
日本橋(江戸) |
下諏訪宿で中山道と合流するまで |
38 |
水戸街道の宿
|
宿名 |
現住所 |
1 |
千住宿 |
足立区 |
東京都 |
2 |
新宿 |
葛飾区 |
3 |
松戸宿 |
松戸市 |
千葉県 |
4 |
小金宿 |
5 |
我孫子宿 |
我孫子市 |
6 |
取手宿 |
取手市 |
茨城県 |
7 |
藤代宿 |
8 |
若柴宿 |
龍ケ崎市 |
9 |
牛久宿 |
牛久市 |
10 |
荒川沖宿 |
土浦市 |
11 |
中村宿 |
12 |
土浦宿 |
13 |
中貫宿 |
14 |
稲吉宿 |
かすみがうら市 |
15 |
府中宿 |
石岡市 |
16 |
竹原宿 |
小美玉市 |
17 |
片倉宿 |
18 |
小幡宿 |
東茨城郡茨城町 |
19 |
長岡宿 |
20 |
水戸宿 |
水戸市 |
道標の設置場所
道標の設置場所は、藤代宿と若柴宿の間に位置する。
江戸初期に、松戸〜我孫子〜布佐〜布川〜若柴のルートから、松戸〜我孫子〜取手〜藤代〜若柴に変更された。
この新旧二つのルートの合流点が、現在の馴柴小学校北東隅の三差路で、ここに道標が建てられている。
江戸時代は (1603年〜1868年)
慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから慶応4年/明治元年4月11日(1868年5月3日)に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指す。
道標面の内容
道標の三面に「水戸十六里、江戸十三里、布川三里」と通ずる方向と距離、
裏面には、文政9年12月に建立と刻まれている。
文政9年=1826年
前面 |
右面 |
左面 |
|
|
|
水戸十六里 |
江戸十三里 |
布川三里 |
1里=3.9273km
水戸 16里≒63km
江戸 13里≒51km
布川 3里≒12km
紹介石碑(記念碑)
記載内容
市指定文化財
道標
種 別 史 跡
指定年月日 昭和十三年三月二十二日
所 在 地 竜ヶ崎市若柴町三一三五番地
管 理 者 竜ヶ崎市
江戸時代に江戸と水戸を結ぶ交通路は水戸街道と称され、五街道
に次ぐ重要な脇街道であった。
初期の水戸街道は、我孫子から利根川に沿って布佐まで下り、利
根川を渡って布川、須藤堀、紅葉内の一里塚をたどって若柴宿に至
る街道(布川道)と、取手宿、藤代宿を経て小貝川を渡り小通幸谷
若柴宿に入る道があった。この二つの道の合流点、現在の市立馴柴
小学校の北東隅の三叉路にこの道標(里程標)がたてられ、三面に
水戸十六里、江戸十三里、布川三里と、通ずる方角とそれぞれへの
里程が刻まれている。裏面には「この若柴駅街道の碑は文政九年
(一八二六)十二月に建立した。三叉路で旅人が迷い易いので、若
柴駅の老人が相謀り、普門品一巻を読誦する毎に一文ずつ供えて積
み立てた(意訳)」とあり、十五名の村人の姓名が記されている。
明治五年(一八七二)に水戸街道は陸前浜街道と改称され、明治
十五年(一八八二)十一月には、牛久沼淵の道路が開通した。その
ため台地を通る街道はさびれ、若柴駅(宿)も宿駅としての機能を
失った。この道標は若柴駅(宿)街道の碑として、往昔の陸上交通
の盛んであった面影を偲ばせるものである。
|
|