行部内貝塚

行部内貝塚 時 期 繩文時代 中期・後期
詳細は、下記説明を参照してください。
所在地 茨城県龍ケ崎市別所町行部内一六六

行部内貝塚の地図


行部内貝塚
所在地 茨城県龍ケ崎市別所町行部内一六六
時 期 繩 文 時 代 中 期 ・ 後 期

 この貝塚は、龍ケ崎市の北方約三Kmに位置し、貝塚は龍ケ崎市の北側において開口する幅五〇〇〜七〇〇m、奥行約二〇〇〇mの谷の開口部から一五〇〇mほど奥に入った北側の大小の支谷によって囲まれた大地の一角の斜面部に所在する。

また、貝塚の所在する台地上には、縄文中期〜後期(四五〇〇〜三五〇〇年前)に集落が営まれていたことが判明している。

なお、行部内貝塚は、昭和四三年に早稲田大学考古学研究会によって調査が行なわれた。

 行部内貝塚は、縄文時代中期から後期に属し、貝層が最も顕著に確認されるのは、台地の東側斜面と東側斜面から西南へ約六〇mの地点の丘陵の南斜面などの数箇所である。

台地の東側斜面の貝塚は、貝層が基盤のローム面に沿って形成されて、貝層はハマグリが最も多く、アカニシ、サルボウ、シオフキがそれに続いて多く、表土から深さ一三〇〜一四五cmにわたって検出され縄文時代中期の加曽利E式土器が主体的に包含されている。

 また、台地の南斜面に確認された貝塚の貝層からは、ハマグリ、シオフキ、ヤマトシジミ、魚類は、エイ、イワシ、クロダイ、スズキ、コチ、鳥類は、ガン、カモ科の一種、哺乳類としては、イノシシ、ニホンシカ、アナグマ、タヌキ、イヌなどの骨が表土から深さ一三〇〜二六〇mにわたって検出され、土器は縄文時代後期の称名寺式、堀ノ内I・U式、加曽利B−I式土器が主体的に包含されているが、これら土器のうち堀ノ内I式土器が最も多く出土している さらに、この時代に使われていたと考えられる道具〔石器〕打製石斧・磨製石斧・石鏃・敲石・凹石・磨石・石錘・軽石製品、〔骨角牙器〕 骨製尖頭器・鹿角製尖頭器・骨鏃・ヘラ状骨製品・鳥骨製品、〔貝器〕貝輪・晩刃 土製品 土錘などが出土している。

 行部内公園は、縄文時代をイメージして設計され、特に古代の広場にはイギリスのストーンヘッジ(遺跡)を模して石柱や敷石を並べてある。
                         龍ヶ崎市