桂昌寺

*印は下段に訳文あり
桂昌寺 所在地:龍ケ崎市八代町 、 山号:富現山、本尊:釈迦如来、宗派:曹洞宗、本寺:江戸崎管天寺、
桂昌寺
由来:八代城主社太良左衛門を開基* とし、明心道達が中興* したと伝えられている。当寺の庫裡*西側から出土した板碑* には、永任四年(1296)の銘があり、中興時の正当性を裏付けているように思える。
 桂山良公(文禄五年十一月二十八日寂* )、点翁吟号(天正十九年一月二十八寂)、通峯泰公(寛永十七年四月二十日寂)相承した。 天文二十一年(1552)七月四日、管天寺九世田曳正村(寛永八年七月十三日寂)が再興し、曹洞宗* に改めた。当寺の本尊は 阿弥陀如来であった考えられている。(住職談)。
 六世密心師伝は、正徳四年(1714)入寺* したが、田畑を買い求め、檀家* の寄付とあわせ、寺の経済的基礎を固めた。 享保二年(1717)伽監を再興、信仰の対象であった薬師如来*を本尊とした。密心師伝は中興の師と仰がれている。
 明治十九年(1886)の書き上げによると、当寺の桂昌寺は、本堂竪(たて)十一間*、横六間半の他に庫裡(竪十間、横5間半)があり 、寺産として境内坪数九七七坪、境外所有地五町*八反* 六畝*二十六歩*、山林三町六畝十九歩、空地三反二畝十七歩があった。
桂昌寺の地図

 なお、当寺には、開基と考えられる社太郎左衛門(実曳道参禅定門)が祀られている。
金剛力士像
 また山門*の仁王尊(金剛力士像)は、もとは八代町富士神社の仁王門に祀られていたものである。富士神社は、社伝によると、鎌倉時代の 正治二年(1200)の創立で、元亀二年(1571)に江戸崎城主土岐治英の保護のもとに再興されたという。
 この像の胎内にあった「寛文十三丑*九月吉日、富士山二王勧進帳」によると、現龍ヶ崎市域、江戸崎町、阿見町、新利根村、河内村、 美浦村、桜川村からも奉加*が寄せられ、かなり広範囲の信仰を集めていたことを知ることができる。 明治初年の廃仏毀釈*の影響でこの像も野に捨てられたが、それを惜しんだ寺崎弥上衛門氏がしばらく自宅に祀っており、 のちに桂昌寺に移されたものである。
参考文献:龍ヶ崎市史「近世調査報告書T」(H6.3.31発行)より引用
【開基】かいき=寺院を創立すること。また、創立した人。開山。
【中興】ちゅうこう=いったん衰えたものを再び盛んにすること。
【庫裏/庫裡】くり=寺院の台所にあたる建物。庫院。庫堂(くどう)、住職や家族の住む所。
【板碑】いたび= 死者の供養のための石造りの卒塔婆(そとば)。主に緑泥片岩の平たい石でつくる。上部は三角形。仏像・梵字・年月・氏名などを刻む。鎌倉・室町時代にかけて盛んにつくられ、東北・関東地方に多い。秩父青石でつくったものを青石塔婆という。
【寂】じゃく= 煩悩(ぼんのう)を離れ、悟りに達すること。涅槃(ねはん)。、僧侶の死を表す語。死亡の年月日の下に付けて用いる。 「昭和一〇年寂」
【曹洞宗】そうとうしゅう=禅宗の一派。九世紀頃の唐の洞山良价(とうざんりようかい)とその弟子曹山本寂の門流をいう。1227年道元によって日本にもたらされ、永平寺四世の瑩山紹瑾(けいざんじようきん)のときに地方の武士・農民に教勢を伸ばした。臨済と並ぶ禅宗の二大宗派。福井県の永平寺と横浜市鶴見区の総持寺が本山。只管打坐(しかんたざ)をもっぱら重視。 〔「曹洞」の名は洞山と曹山によるとする説と禅宗六祖曹渓慧能と洞山によるとする説がある〕
【入寺】にゅうじ=寺へはいって住持となること。
【檀家】だんか =〔「だんけ」とも〕ある寺の信徒となり、布施などの経済的援助を持続して行い、葬式・法事などを行なってもらう家。また、その家の人。檀方。
【薬師如来】やくし-にょらい=〔梵 Bhaiajyaguru〕東方浄瑠璃世界の教主。修行者の時に一二の願を起こして、成仏したとされ、衆生(しゆじよう)の病気を治し、安楽を得させる仏。仏教の伝来以後、治病の仏として広く信仰された。薬壺を持つ像が多いが、一定しない。両界曼荼羅(まんだら)に登場しないため、大日・釈迦など他の仏と同体とされるが、諸説ある。日光・月光(がつこう)の両菩薩を脇侍とし、十二神将を眷属(けんぞく)とする。像にも法隆寺金堂、薬師寺金堂のものをはじめとして名品が多い。薬師瑠璃光如来。薬師仏。大医王仏。
【間】けん=長さの単位。近世以降一般化した単位。1891年(明治24)、度量衡法に基づいて、一間を六尺(約1.818メートル)とする尺貫法の単位として定めた。1958年(昭和33)以降法定単位としては廃止。
【町】ちょう=土地面積の単位。条里制では一辺の長さが一町の正方形の面積。中世、一町は三六〇〇歩であったが、太閤検地の際、三〇〇〇歩となった。メートル条約加入後、1891年に、120ヘクタールを一二一町と定め、一町は約0.99ヘクタールとなった。一町は一〇段、三〇〇〇坪。町歩。
【反/段】たん =地積の単位。古代・中世では三六〇歩、太閤検地以降は三〇〇歩(坪)。約9.9174アール。
【畝】せ=尺貫法における、土地の面積の単位。一段の一〇分の一。三〇坪。三〇歩(ぶ)。約1アール(100平方メートル)。
【歩】ぶ=坪(つぼ)に同じ
【山門】さんもん=〔寺院は元来、山中に建てられたことから〕寺院の門。また、寺院。
【寛文十三年】かんぶん-じゅうさんねん=1673年癸丑=延宝元年
【奉加】ほうが=神仏に参詣して金品を奉納すること。特に、寺社の建設などの際に金品を寄進すること。寄付。
【廃仏毀釈/排仏棄釈】はいぶつ-きしゃく=〔仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する意〕明治初年、祭政一致をスローガンとする政府の神道国教化政策・神仏分離政策によってひきおこされた仏教排斥運動。各地で仏堂・仏像・経文などが破棄された。