金龍寺
金龍寺 |
金龍寺(きんりゅうじ)は新田氏の菩提寺で義貞の四男貞氏が軍功により
金山城にあって新田郡を領し、応永二十四年(1417)禅師天真を
開基として建てた寺である。その後百六十余年を経て天正十六年(1588)
由良国繁が桐生城に移った時、寺も移転された天正十八年(1580)
小田原滅亡の際、国繁は小田原城にあったが、
その母が秀吉に応じその功によって特に牛久5千石を与えられ
国繁も許されて牛久城主となった。
これにともなって金竜寺も牛久に移った。
元和七年新田貞繁が頓死したため上地したが寺に対しては山林田畑の寄付があり
寛文六年(1666)に若柴に新しく堂宇が造営された。天保四年(1833)
若柴宿の大火で類焼し安政五年(1858)に再建されたものが現在の堂宇である。
参考文献:龍ヶ崎市史「民俗編」(H5.3.31発行) 所在地:龍ケ崎市若柴町 ≫ 金龍寺の地図 |
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