金剛力士立像 (文化財)
金剛力士立像・文化財 | 桂昌寺の仁王尊(金剛力士像)は、もとは八代町富士神社の仁王門に祀られていたものである。 富士神社は、社伝によると、鎌倉時代の 正治二年(1200)の創立で、元亀二年(1571)に江戸崎城主土岐治英の保護のもとに再興されたという。 この像の胎内にあった「寛文十三丑九月吉日、富士山二王勧進帳」によると、現龍ヶ崎市域、江戸崎町、阿見町、新利根村、河内村、 美浦村、桜川村からも奉加が寄せられ、かなり広範囲の信仰を集めていたことを知ることができる。 明治初年の廃仏毀釈の影響でこの像も野に捨てられたが、それを惜しんだ寺崎弥上衛門氏がしばらく自宅に祀っており、 のちに桂昌寺に移されたものである。 参考文献:龍ヶ崎市史「近世調査報告書T」(H6.3.31発行)より引用 ≫ 桂昌寺の地図 |
金剛力士立像(桂昌寺)の画像・動画
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桂昌寺の金剛力士立像 (*1) 金剛力士(こんごうりきし) 参考:ウィキペデア 金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。(*2) 仁王門(におうもん) 参考:百科事典マイペディア 仏寺の守護神として,2体の金剛力士を安置する楼門(ろうもん)。(*3) 奉加(ほうが) 参考:Weblio 神仏に参詣して金品を奉納すること。(*4) 廃仏稀釈(はいぶつきしゃく) 参考:ウィキペデア 仏法を廃し、釈迦の教えを棄却すること。(*5) 裳(も) 参考:ウィキペデア 裳(も)は十二単を構成する着物の一つである。(*6) 金剛杵(こんごうしょ) 参考:ウィキペデア 梵名 ヴァジュラ・ヴァジラは、密教やチベット仏教における法具である。(*7) 仏陀(ブッダ) 参考:ウィキペデア 仏陀(ブッダ、梵: buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。(*8) 仏法(ふっぽう、ぶっぽう) 参考:ウィキペデア 法 (仏教) - 仏に成る方法。(*9) 須弥壇(しゅみだん) 参考:ウィキペデア 須弥壇(しゅみだん)とは、仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のこと。 画像集(Google)
参考資料
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