仙台領柱

龍ケ崎市指定文化財
仙台領柱
この仙台領柱は布川(利根町)から龍ヶ崎村へ入る米町の木戸境に建てられていたと考えられている。幅奥行き共25cm、高さ330cmほどで伊豆半島の産の安山岩。徳川家康が伊達政宗に龍ヶ崎村を含めた近隣の村むら二十六か村を飛地として与えたのが慶長十一年(1606)。龍ヶ崎領は五十七年後に常陸国内で一部領地替えが行なわれたが、仙台藩は初めから龍ヶ崎城跡近くに陣屋を置き、幕末の慶応四年(1868)までの262年間にわたって支配の中心とした。
保存場所:龍ヶ崎市歴史民俗資料館、

歴史民俗資料館の地図


仙台領柱の画像・動画


仙台藩常陸国龍ケ崎領
慶長11(1606)年3月3日、常陸国河内郡龍ケ崎村(龍ケ崎市)で1,238石2斗4升9合、龍ケ崎村以外の河内郡12か村で3,473石3斗2升5合、新太郡13か村で5,344石9斗7升の合計1万0056石5斗4升4合が、徳川幕府から伊達政宗に飛び地として与えられたその総称が「仙台藩常陸国龍ケ崎領」です。

龍ケ崎城のあった西側に仙台藩の陣屋が置かれ、寛文3(1663)年8月には龍ケ崎村を除く河内郡12ケ村と筑波郡4ケ村が領地替となったが、陣屋は幕末まで龍ケ崎村に置かれた

仙台藩常陸国龍ケ崎領「1万石」の内訳 …慶長11(1606)年当時


仙台領柱は
仙臺領」と刻まれた石柱は、知行地を示すために設置したものと考えられ、現存する2基が歴史民俗資料館に展示されている。

伊達政宗
伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。

伊達氏第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから「独眼竜」と称されている。
伊達政宗
伊達政宗

伊達正宗と時代表   


 @室町・戦国時代


 A安土桃山時代



 B江戸時代



一万石(いちまんごく)とは

ある領地で一年間に生産できる米の量(算出値)が一万石であるが、実際には他の作物の収入等も米代に直して合算して決めていた(検地で実施)。

1石とは

ここでいう石(こく)とは、お米の量(容積)を量る単位(尺貫法)である。

 1石(こく)    =10斗(と)
 1斗(と)       =10升(しょう)
 1升(しょう) =10合(ごう)
 1合(ごう)   ≒0.18L(リットル)

 つまり、1石=10斗=100升=1,000合≒180L である。

1石は、一人で一年間に消費する米の量、だったそうで

 一人1食当たり1合を食すると、 3合×365日=1095合≒1,000合である。

重さに換算すると

 1合 ≒ 150g
 1升 ≒ 1.5Kg
 1斗 ≒ 15 Kg
 1石 ≒ 150Kg

1万石を、米俵に換算すると

 1俵 = 60Kg = 4斗= 0.4石

 1万石 ÷ 0.4石(1俵)=25,000俵

 つまり 1万石=2,5000俵 となる


現在スーパーなどで売られている米一袋「10Kg」に換算すると秋田県大館産 あきたこまち 10Kg

 1石=150Kg=15袋(10Kg)

 つまり 1万石 =15万袋(10Kg)ということになる。


・参考に、現在の価格を計算すると
 右のあきたこまちは、10Kg入り1袋4,900円で販売(ネット)していた(2012/4/20)ので

 1万石=15万袋(10Kg)
     =4,900円×150,000袋
     =735,000,000円
 1万石=7億3千5百万円  となる。
 *現在と当時の物価など異なり、単純に比較できないので参考程度に。


石高(こくだか)とは
生産高などで田畠の優劣に応じて等級を設置し、等級ごとに生産高が決められていた。

領地の生産高の総合計が石高である。
論理値です。

ただし、一回の検地でそのまま見直しがされず、実際の収穫高は大分多かったところも有ったようです。
稲作の改良により実際は石高より多く採れていたようです。


四公六民とは

江戸時代の年貢率の一つで、石高の4割を年貢として領主に納め、6割を農民の所得とするもの。

仙台藩がこれを採用したとすると、1万石の4割の4千石が年貢として手に入ったことになる。

参考資料
  • 仙台藩常陸国龍ケ崎領四百年記念展示 「伊達政宗にはじまる龍ケ崎領」 …龍ケ崎市歴史民俗資料館
  • 天下の独眼竜 伊達政宗 …http://park6.wakwak.com/~masamune/
  • 馬上少年過 …http://www4.tokai.or.jp/bajoushounen/