多宝塔(来迎院)

多宝塔
(来迎院)
来迎院(龍ケ崎市馴馬町)には、この地方ではほとんど遺構(いこう:昔の建築の残存物)をみない多宝塔があって、関東以北では最古のものとされる。形式的な古さからも、極めて重要な存在で、室町時代の特色を示している。
国指定重要有形文化財

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動画
2012(H24)
茨城県指定文化財 多宝塔(龍ケ崎市馴馬町 来迎院)  [2:20]

龍ケ崎市馴馬町来迎院の多宝塔は、相輪に刻み込まれている銘文によると、弘治2年(1556年)5月吉日に、江戸崎城主の土岐治英がこの塔を改築したとなっている。 国指定重要有形文化財

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が 2012/03/18 にアップロード
多宝塔とは
多宝塔(たほうとう)は、日本で建立された寺院建築の仏塔のうち、下重方形、上重円形の平面をもつ二重形式の塔をいう。

多重塔は、奇数の方形の屋根を重ねる形式だが、多宝塔は、方形に円形の平面を組み合わせたもの。この形式は、中国や朝鮮には遺例はなく、平安時代に日本で考え出されたものと考えられている。空海が真言密教の教理を表す大塔を高野山に建立したのが初出といわれている。
来迎院
所在 茨城県龍ケ崎市馴馬町
山号 箱根山宝塔寺
宗派 天台宗
由来 寺伝によると、永正14(1517)年、逢善寺(稲敷市小野)の末寺として創建され、弘治2(1556)年に延暦寺覚仙が中興し、寛永8(1631)年に玄幸が再興したと伝えられる。

 寛政3(1791)年には、上野の東叡山寛永寺より200両を下賜され、本堂・庫裡が再建されている。

 また、境内には推定で500年前(建立時期は不明)とされる関東地方に、唯一現存する最古の多宝塔が建っている。
来迎院多宝塔 
特徴
来迎院の多宝塔は、この地方ではほとんど遺構(いこう:昔の建築の残存物)をみないもので、関東以北では最古のものとされる。
形式的な古さからも、極めて重要な存在で、室町時代の特色を示している。

建立と修理

 修理記録は、明治27(1894)年、昭和36(1961)年と江戸時代に馴馬村の山崎茂右衛門が写し取ったとされる相輪の銘文『常総遺文』所収の『希代之廟塔修善』「弘治2(1556)年」が知られている。

 平成10(1998)年から3か年にわたって行われた平成の大修理で、相輪の伏鉢(ふせばち)に安政7(1860)年、牛久藩主山口弘敞(ひろあきら)に塔の修復金を拝借し、東叡山寛永寺から金20両が貸し与えられて返済し、金5両と米5俵が牛久藩主から下賜されていることや、大正8(1919)年にも修理が行われていたことがわかった。

 しかし、創建以降に初めて行われた解体を伴う大規模な、この保存修理においても、建立年代と弘治2(1556)年から安政7(1860)年にかけて約300年間の修理経過については判明していない

その他
 「相輪(九輪)」、「宝珠刻銘」、「多宝塔を修理した土岐氏」、「宝珠に刻まれている内容」については、 財団法人 龍ケ崎市文化振興事業団 作成の「パンフレット」をご参照ください。

参考資料
  • 龍ケ崎の文化財 …龍ケ崎市歴史民俗資料館
  • 「来迎院多宝塔」のパンフレット …財団法人 龍ケ崎市文化振興事業団